【数学教育のあり方】数学の楽しさを伝えようとする風潮に対する違和感

数学教育の工夫 = 数学の楽しさを伝えること?

数学の学習指導要領では,
数学の楽しさを伝えることが重要視されています。

試しに,インターネット上で公開されている
「中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 数学編」で,
「楽しさ」を文字列検索してみると,
43件もヒットしました。

なかなかの強調ぶりだなと思いました。

ただ,「高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説
数学編 理数編」
だと,
6件まで激減するのが面白いところではあります。

実際,数学教育の工夫と言うと,
数学の楽しさをいかに伝えるか」を考える人が
圧倒的に多いようです。

筆者は,その傾向に疑問を感じています。
疑問の理由は,大きく3つに分けられます。

  • 数学は,楽しいから勉強してほしいのではない。
  • 数学の楽しさは,標準的な理解度の学習者には
    なかなか伝わらない。
  • 理解度が低く,数学の学びに
    大きなストレスを抱えている学習者にとっては,
    逆効果になるおそれがある。

この3点について,考えを述べたいと思います。

数学は,楽しいから勉強してほしいのではない

数学を学ぶのは,楽しいからでしょうか。

自分の子どもに,あるいは,世の中学生や高校生に,
数学の学習を頑張ってほしいと願うのは,
数学が楽しいからなのでしょうか。

違うでしょう。
そんなひねった理由ではないはずです。

世の学生たちに数学の学習を頑張ってほしいと思う理由は,
大体次のようなものではないでしょうか。

  • 数学の学習で得たものが,学習者の人生を豊かに,
    かつ有利にする可能性が高いから。
  • 数学の能力が高い人材が増えると,
    世の中のためになる可能性が高いから。

国が国民に数学の学習や研究を奨励するのも,
似たような理由だと思います。

断じて,国民に娯楽を提供するのが目的ではありません。

その本音をごまかして,
数学は楽しいぞ楽しいぞ,
楽しいから勉強しようと誘惑しても,
子どもたちはついてこないでしょう。

数学の楽しさはなかなか伝わらない

「楽しい話題」の種類

一般に,数学で学習者を楽しませるために提供する話題の種類は,
下に示すように,色々考えられます。

  • 見慣れない問題
  • 鮮やかな解法
  • 定理や公式の一風いっぷう変わった解釈
  • 数学の単元間の関連
  • 日常生活への応用例
  • 数学以外の分野との関連

これらの話題を駆使して,学習者を数学で楽しませることは,
基本的には良いことだと思っています。

うまくいけば,
学習意欲が回復するといった効果も期待できますので,
可能である時は積極的に狙うべきでしょう。

全ての話題が全員に通じるわけではない

ただ,どんな話題を面白いと感じるかは十人十色です。

実際,ある学習者がすごく面白いと感じる話題に
別の学習者がほとんど興味を示さないというのは
よくあることです。ℹ️

ある生徒にとってあまり面白くない話題を詳説すると,
その生徒の数学の学びに対する負担感が
増えるだけになるかもしれません。

数学は,理解度が高いほど楽しいと感じる機会が多い

何を一番楽しいと思うかは人それぞれなので,
よほど感覚が合えば,数学より楽しいものはないと
思う人がいても不思議はありません。

実際,筆者にも,数学の問題が衝撃的な形で解けたり,
衝撃的な解法を見せられたりして,
心躍ることはあります。

確かに,その感覚は数学以外のものからは
得がたいかもしれません。

数学をこよなく愛する人は
そのような感覚が好きなのでしょうし,
数学の楽しさを伝えたいと考える人は,
そのような感覚を伝えたいのでしょう。

ただし,その楽しさは,
理解度の高い人ほど頻繁に訪れるものであることを
心に留める必要があります。

標準的な理解度の人が高い頻度で
味わえるものではありません。ℹ️

ある程度余裕を持って理解できる話題でなければ,
理解するだけで疲れてしまい,それを味わったり,
さらに考えを広げたりして楽しむだけの余力が
残らないことが多いでしょう。

指導者が,自分にとって数学が非常に楽しいからと言って,
誰でもその楽しさを存分に味わえるものだと思い込んで
数学の楽しさを伝えようとしても,
少ししか伝わらず空振りに終わる可能性が高いと思います。

娯楽商品より楽しいはずがない

漫画やビデオゲームなどの娯楽商品は,
利用者をできる限り楽しませるように作られています。

数学は,当然そうではありません。

ですから,子どもたちを楽しませたいのなら,
奇をてらわずに娯楽商品を与えればよいのです。

多くの場合,それらは始めた時点からすぐに楽しいですから。
種類も大変豊富で,与えるものに困ることもありません。⚠️

それに比べて数学は,
楽しむためには長く念入りな準備が必要です。

事前にじっくり時間をかけて理論を学び,
辛抱強く計算練習をする必要があります。

その上で,学習者との相性が良い話題を出すと,
なるほど面白いかも」と思ってもらえるくらいのものです。ℹ️️

指導者側は平常心を保つことが大事

数学の話題で学習者に
少し楽しんでもらえたと思えた場面で,
指導者側が

そうでしょう!?
数学って面白いでしょう!?

のような態度を表に出すのは
控えた方が良いと思います。

学習者に「いや,そこまでではないけれども…」と
クールダウンされてしまう可能性があるからです。

場合によっては,

数学が好きな人って,
これくらいのものでもすごく楽しめるんだ…
やっぱり自分とは感覚が根本から違うのかも…

と思われてしまうおそれさえありそうです。

目安としては,指導者側は,
興奮の度合いを学習者より低く抑える
というのがちょうど良い気がします。

学習者が大興奮していれば,
指導者も一緒になって数学の楽しさを語ったりしても,
それがマイナスに働くことはないでしょう。

逆に,学習者の様子が
「ちょっと楽しい」程度であれば,
指導者側はすました顔をしておくのが
無難だと思います。

数学で楽しんでもらえたという成果を
無駄にしないよう,指導者側は,
自身の興奮度合いにも注意したいところです。

数学で楽しさを味わえるようになるまでの手間を考えても,
得られる楽しさの程度で比較しても,
教え方次第で数学の楽しさが
漫画やゲームのそれを上回ると考えるのは,
無理がありすぎます。

その事実を無視して,
「数学は楽しいから学びなさい」と子どもたちを誘っても,
漫画やゲームの方が楽しいからいい」と言われるだけです。

人が何で楽しむかは,基本的にその人の自由ですから,
「数学以外のもので楽しむからいい」と言われたら,
数学の学習をすすめる理由がなくなってしまいます。

数学の学びが苦痛になっている人には逆効果になるおそれも

日本人は勤勉だが,数学には耐えられない人が多い

よく言われているように,日本人の多くは勤勉です。

将来のためになるのであれば,
多少の苦労はいとわずに努力できます。

にもかかわらず,高校を卒業したら
もう数学には関わりたくないと考える日本人は多いです。

その人たちは,必ずしも,
数学の有用性を否定しているわけではありません。

それでも,数学に関しては,
努力を続けられないと言うのです。

その理由は単純明快だと思っています。
学校の授業から取り残された後の数学の学習が,
耐えがたいほどに苦痛だからでしょう。

前提の理解が足りなくなり,
ほとんど理解不可能になった授業を聞かされる。

にもかかわらずそれを理解して,
定期試験である程度の成績を残しなさい,
できなければ次の学年に進めませんという
周囲からのプレッシャー。

苦しくて当然だと思います。

苦痛に喘ぐ人に,楽しさを伝えようとしてもムダ

身もふたもない例を出しますが,
今まさに病気で体の痛みにあえいでいる人に,
美味しい食べ物やその人の趣味に合いそうな娯楽用品を
持っていっても無意味でしょう。

下手をすると,的外れな気遣いを
不愉快に思われてしまう可能性さえあります。⚠️

その人にとってありがたいのは,
治療なり痛み止めなり,
苦痛を除去してくれる手段です。

それが無理なら,背中をさすってあげたり,
手を握って励ましてあげたりした方がまだしもでしょう。

苦しんでいる人の救済には,苦痛の除去が一番。
それは,万人共通の常識だと思います。

理解が不十分な学習者は,「楽しい話題」でも負担に感じる

数学の話題を楽しむためには,多くの場合,
それを理解するための知識と技能が揃っていて,
しかも精神的に余裕があることが必要条件になると
考えられます。

その条件を満たしていない学習者が
「楽しい話題」を向けられても,
よほど単純な話題でない限り,
それも理解しないといけない?」と
負担感を増幅させるだけになるでしょう。

つまり,数学が理解できずに苦しんでいる人に,
数学を楽しませようなどと考えても,
無効どころか逆効果になる可能性が高いと思います。

数学の学びに苦しんでいる人は,理解度の回復が最優先

当サイトの序文等でも主張しているように,
数学の学びを苦しいと感じるのは,
理解不足のまま新しい理論を教え込まれることに
よるところが大きいと思います。

その苦しみを除去するには,
数学の学びを諦めないのであれば,
やはり理解不足を解消するのが一番
ということになるでしょう。ℹ️️

既習事項をしっかり理解した状態であっても,
数学の学びは楽ではないと考える人が多いかもしれませんが,
そのストレスが許容範囲内であれば,
勤勉な日本人は頑張れます。

苦しみを楽しみで紛らわしてもらうといった奇策に走らず,
苦しみの原因自体を除去するという正攻法で
解決を目指すのが良いと思います。

もちろん,理解不足の解消に向けて復習する過程で,
理解可能になった話題があれば,
それを振り向けるのは良いことです。

それによって,復習の意欲が長続きする可能性があります。⚠️

まとめ:「数学は役に立つから学びましょう」でよい

以上,数学の楽しさを伝えようとする風潮について
考えてきました。

数学の学びに対して,
苦痛に近いストレスを感じている中学生や高校生に
数学は楽しいから学びましょう」と言っても
まず響きません。

そのような生徒に「楽しい話題」を与えても,
楽しさは伝わらず,負担感を増幅させるだけです。

理解不足により数学の学びに苦しんでいる生徒に対しては,
分かるところから復習し直してもらい,理解を補うことで,
ストレスを緩和することが何より大事です。

多くの日本人は勤勉なので,
学びのストレスが許容範囲内であれば頑張れます。

結局のところ,数学の学びを促したいなら,
学びのストレスを許容範囲内に収めた上で,
素直に「数学は役に立つから学びましょう」と
呼びかけるのが最善でしょう。

その上で,生徒の学習意欲を維持・向上させる手段として,
数学の話題で生徒を楽しませることには,
筆者も大いに賛成です。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
参考になれば幸いです。

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