【数学教育のあり方】数学の学びの効用は,他の手段でも得られるか

数学の学びは代替可能か

数学を学ぶことの効用

当サイトの序文で述べたように,
数学の学びの主な効用は,
次の4つのものが得られることだと思います。

数学の学びにより得られるもの

  • 数学の理論と概念ℹ️️
  • 考える技術
  • 考える姿勢
  • 説明する技術

これらのうち,数学の理論と概念を身につけるには,
当然,数学の学習が必要になります。

ただし,これも序文で述べたことですが,
数学の理論と概念は,万人に必要とは言いがたものです。

知っていれば何らかの形で役に立つかもしれませんが,
数学を無理に学ぶより,自分が専門とする分野や
日常生活の知恵などを学ぶのに時間と労力を割いた方が
有意義だとの考えも,否定出来ないと思います。

問題は,残りの3つです。

数学の学びを通して得られる
考える技術や姿勢および説明する技術は,
どんな仕事をするにしても,
あるいは日常生活においても,
大いに役に立つに違いありません。

しかし一方で,これらは,
数学自体とは関係がありませんから,
数学以外で体得できる可能性もありそうです。

ならば,これらの技術や姿勢を数学以外で体得した人は,
数学を学ぶ必要はないことになるのでしょうか。

つまり,数学を万人に学ばせる必要はないことに
なるのでしょうか。

やはり数学は万人が学んだ方が良い

結論を先に述べますと,
やはり数学は万人が学んだ方が良いと思います。

ただ,考察もせずにその結論を押し付けたのでは,
数学の学びに強く負担を感じる人は,
納得しづらいでしょう。

この記事は,その考察を行うものです。

数学は万人が学んだ方が良いという結論ですが,
当サイトの序文で述べた通り,
万人が高校数学を学ぶ必要はないと思います。

中学卒業時点で中学数学の理解が十分でない人は,
無理に現行の高校数学の内容に進まず,
高校でも中学数学の内容を中心に学び直す方が
はるかに有意義でしょう。ℹ️️

それでも,万人に有用だと思われる
考える技術や姿勢,説明する技術は
十分に身につけることができます。

ただ,それは,現在の教育制度では困難が伴うので,
それが問題なく可能な制度に改革する必要が
あると思います。

考える技術や姿勢を得る手段は,
数学の学習以外にも考えられる

数学の学習によって得られる
考える技術と姿勢および説明する技術は,
万人にとって必要,少なくとも有用であると思います。

ただ,これらの技術や姿勢を身につける手段が
数学以外にないわけではありません。

数学以外の教科を挙げるとすれば「情報」か

高校までで扱われる教科から,
考える技術や姿勢などを身につけるのに
適するものを選ぶなら,
代表格は数学で間違いないと思います。

ただ,数学が唯一というわけではありません。

2番手を挙げるなら,
それは「情報」ではないでしょうか。

情報科の,特に「プログラミング」です。

これもまた,ある程度の予備知識や経験を蓄えた上で,
与えられた課題を創意工夫により解決する訓練になります。

個々の能力の差はあるにしろ,
それぞれの能力に応じて,
考えることで新しいアイデアが得られ,
問題が解決に近付くという成功体験は,
全ての人に多々生じると期待してよいでしょう。

数学に比べて,解決不可能な状況が生じにくい点もプラス要素

学校教育でのプログラミングは,数学に比べると,
積み上げ要素が極めて少ないと考えてよいでしょう。

数学では,前提知識が十分でないため理論が理解不可能で,
よって出される問題も解決不可能,
解答解説を読んでもやはり理解不可能といった状況が
しばしば起こります。

そんな状況下で思考訓練を行っても,
自分の無力さを痛感するばかりで
逆効果になると思われます。

しかし,そのような状況が
プログラミングではあまり起こらないと
期待してよいだろう,ということです。

仕事でプログラミングをするとなれば,
特定のプログラミング言語を
深く知らなければならないため,
積み上げ要素もかなりあると言えます。

しかし,学校教育でプログラミングを教える場合,
特定の言語に習熟させることはないと思われるので,
問題の解決のために必要になる文法等は
その場で全て与えるのが基本になるはずです。

その文法等もそこまで複雑なものでは
ないと思うので,数学のように,
何学年もさかのぼって復習しないと
学校の授業が理解できないといったことには
なりにくいと考えています。

誰にとっても,解決できるチャンスがある状態で
問題に挑戦でき,自力で解決できなかったとしても,
正答例を見れば理解できるケースが多いでしょう。

これは,思考訓練としては,
非常に大きなプラス要素です。

考える技術や姿勢を育成する場としては,
数学よりも万人向けかもしれません。

ただし,説明する技術の伸長は,
普通にプログラミングの訓練をしているだけでは
あまり期待できないと思われます。

プログラミングの必修化は悪くない方針だと思う

平成29年告示の小学校学習指導要領で,
プログラミングが必修化されたことは
よく知られている通りです。

細かい部分では色々と改善が
求められる部分もあると聞いていますし,
小学校から始めるのがどうなのかは,
筆者には分かりません。

ただ,国民の多くにプログラミングを
学ばせるという大方針自体は,
悪くないのではないかと思っています。

考える姿勢を育てる手段は,教科の学習以外にもある

考える姿勢を育てる手段は,
学校教育の中にしかないわけではありません。

囲碁や将棋が非常に強い人は仕事もできるという説を
聞いたことはありませんか。

その説の真偽は何とも言えませんし,
間違いなく例外はありそうな説ですが,
その傾向があっても全く不思議ではないと思っています。

囲碁や将棋の達人は,間違いなく,
考える技術と姿勢を体得しているからです。

局面を有利にする手を生み出すには,基本的に,
自分の頭で考える以外に手段がないのですから。

加えて,囲碁や将棋の達人は,
他者の思考を読むことにまで慣れています。

その意味では,囲碁や将棋には,数学以上に
考える能力および姿勢を育てる効果が
あるかもしれないとさえ思います。⚠️

考える技術や姿勢は,大人になってから身につく可能性もあるが…

「自分の頭で考えても大したアイデアは得られない」という
意識が根付いてしまった人は,何らかの問題に直面した時,
考えるというより思い悩むだけになりがちだと思います。

その状態では,打開策が思い浮かぶ確率は
かなり低くなってしまいます。

もっとも,その確率は低くなっただけで,
ゼロになったわけではありません。

思い悩んでいるうちに
打開策に出会う可能性はあります。

そのような成功体験が重なれば,
「考えれば何とかなるかも」という意識に
シフトしていくケースもあるでしょう。

つまり,考える技術や姿勢は,
少年時代に身につけなければ
もう一生身につかないものではないと思います。

とは言え,「考えても無駄」という意識を
持っている期間が長いほど,
様々な形で不利になるのは間違いありません。

大学生または社会人になる前に
自分の思考の有用性を信じられる状態になれるのであれば,
それに越したことはないと思います。

説明する技術を数学以外で身につける方法

数学の学習以外に,
考える技術や姿勢を身につける手段の候補として,
囲碁や将棋,プログラミングを挙げました。ℹ️️

ただ,これらは,普通に学んでいるだけでは,
説明する訓練にはならないので,
説明する技術が伸びることは期待できないでしょう。

筆者は,数学と同等以上に,
普通に学んだり訓練したりすることにより
説明する技術が身につけられそうな分野を
思いついていません。

強いて挙げるなら,誰かに何かを教えることか

説明する技術を身につける方法を,
数学の学習以外に挙げるなら,
誰かに何かを教えること
有効なのではないかと思います。

教える分野は問いません。

数学がベストかもしれないとは思いますが,
数学でなくても構いません。

学校の生徒については,誰かに何かを教える機会が
少なそうなイメージがあるかもしれませんが,
例えば,部活動で,新入部員に対する
手ほどき役(教え役)になるケースなどが
考えられます。

誰かに何かを教える役は,
様々なことを考えながらこなす必要があります。

  • 過不足なく,適度な詳しさの説明になっているか。
  • より伝わりやすい説明はないか。
  • 教わる側にとって,
    情報不足で理解不能な説明になっていないか。
  • 教わる側にとって,負担が過重になっていないか。
  • 教わる側が,新しいことを身につけられる
    精神状態であるか。
  • 動作を教える場合,教わる側にとって,
    その動作がその時点で可能であるか。
    可能でない場合,それを可能にするために,
    先に身につけさせるべきもの(動作や体力など)は何か。

これらのことに配慮しながら
他者への説明をくり返していれば,
様々な副産物とともに,
説明する技術は自然に身につきそうです。

複数の分野で得られるに越したことはない

ここまで,数学の学習以外にも,
考える技術や姿勢,説明する技術を身につける手段は
ありそうだと主張してきました。

それらによって考える技術や姿勢等が身についた人は,
必ずしも数学を学ぶ必要はないかもしれません。

とは言え,独自の思考で独自のアイデアを得るという経験を,
複数の分野で得られるのであれば,
その方が望ましいことも確かです。

そのような経験を数学の学習でのみ得た人は,
もしかしたら,

数学では,考えれば色々なアイデアが得られるけれども
他の分野ではどうか分からない

という意識にとどまるかもしれません。

しかし,上記のような経験を,
将棋と数学とプログラミングで得られた人なら,
自分の思考がこれだけ多くの分野で通用しているのですから,

どの分野でも,考えれば色々なアイデアが
得られるかもしれない

という意識に近づくと期待されます。

そう考えると,過重な負担にならない範囲で,
多くの分野で考える機会を与える方針の方が
良いのではないでしょうか。

すなわち,代替が可能である可能性はあるにしろ,
やはり数学の学習は全ての国民に行わせるという方針で
良いような気がします。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
参考になれば幸いです。

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