【数学教育のあり方】学校の先生が教育に集中できる環境を

現代の学校の先生は,激務になりすぎている

ネットニュースなどからの聞きかじりの知識ですが,
(数学に限らず)学校の先生は,
大変な激務になっていると聞きます。

それは,単に労働時間が長いだけではなく,
教科内容を教えるという本来の業務以外の業務が
増えすぎているという面も大きいです。

先生方が耐えられなくなって辞める流れが本格化すると
まずいということもありますが,
耐えられればよいというものでもありません。

教科指導を得意とする人材が,
得意でない業務に忙殺されて
教科指導に専念できないという現状は,
教育界にとっててつもない損失であるからです。

これはもはや,社会問題と言って差し支えありません。

数学教育だけに関わる問題ではありませんが,
これが解決するかどうかは
今後の数学教育にも当然多大な影響を及ぼしますので,
この記事を通して,
解決策の案を1つ提示したいと思いました。

教科内容以外の面で生徒を導く「総合指導員」を設けてはどうか

その案とは,教科指導を行う先生の他に,
主に教科内容以外の面で児童生徒の成長を
手助けするための指導員を大勢採用して
各学校に配置してはどうかというものです。⚠️

安直な案だと自分でも思うのですが,
絶大な効果が見込めそうだと思えるわりに
同様の意見を全く聞かないので,
あえて提案したいと思います。

以下,教科内容の指導に専念する教員を<専門指導員>
主に教科内容以外の面で生徒の成長を手助けする教員を
<総合指導員>と呼ぶことにします。⚠️ℹ️️

教科担当は教科指導に専念し,他の業務は総合指導員に任せる

筆者が想定する「総合指導員」の業務を挙げてみると,
次のようになります。

  • 学級担任
  • 生徒の生活指導
  • 生徒どうしの人間関係への対応
  • 保護者への対応
  • 生徒の話し相手,相談相手
  • 試験監督
  • 部活動の顧問
  • 遠足や修学旅行の引率,帯同

これらの業務は,教科の専門家が行う必要性は
極めて低いと言ってよいでしょう。⚠️

そして,「専門指導員」は,

  • 教科書を含む教材の研究
  • 指導法の研究
  • 授業の実施
  • 試験問題の作成
  • 試験の採点ℹ️️
  • 個々の生徒の学力分析,
    (必要に応じて)個々の生徒に合わせた指導の実施

などのような,教科の専門家にしかできない業務に
専念するわけです。

そのような体制にするだけでも,学校の先生の負担が
劇的に軽くなることは間違いありません。

教科の専門家だからといって,
学校や学級の運営,生徒の心理ケアなどに
全く無知・無関心なのは良くないと考える向きも
あると思います。

その考え方を否定する気はないのですが,
学校教育現場の現状は,その考え方に乗じて,
あまりに多くのことを教師に
押し付けすぎているように感じられてなりません。

教科担当の教師が部活動に関わる場合も,主たる顧問には総合指導員を据える

学校の部活動に専門指導員が関わるメリットが
ありそうな場面を挙げるなら,
文化系の部活動に,関連のある教科の教師が
関わるケースでしょうか。

文芸系の部活なら国語科の,科学系なら理科の,
IT系なら情報科の教師が関わるといった感じですね。

ただ,それも,常時監督するとか,
合宿の引率といった役目は総合指導員に任せるのが
望ましいでしょう。

専門指導員の関与は,
専門的な知見の提供のみに限定した方が,
その能力を効率よく活かせるのではないかと思います。

専門指導員が部活動に深く関わりたいと望む場合は
関わってもよいと思いますが,
教科指導を第一に考えるのがあるべき姿でしょう。

部活動の顧問となる教師は,
その部で大きな問題が発生したら
介入しない訳にはいかないですから,
その役目はやはり,専門指導員ではなく
総合指導員が受け持つのが望ましいと思います。

教科内容の学習相談も,まずは「総合指導員」が対応する

学校の先生に質問するのは勇気が要る

現在の学校教育の中で,
生徒が学校の先生に数学の質問をするのは,
生徒によっては勇気が要ると思います。

それは,生徒側に次のような心理が働くと
考えられるためです。

  • 「こんなことも分かってないの」
    「授業をちゃんと聞いていたの」と
    思われる・言われるのが嫌。
  • 自分の理解度が大きく不足していたら,
    自分に分かるように教えるのに
    ものすごく時間を取らせてしまうかもしれない。
    迷惑になりたくない。
    あるいは,煙たがられたくない。
  • 長丁場になった場合,生徒自身も
    長時間そこで労力と神経を消費することになるので面倒。
  • 生徒1人1人が学校の先生に個別対応を求めたら,
    先生はあっという間に対応しきれなくなるはず。
    その一因になるような行動をする気になれない。

このような心理が働く中で,
学校の数学の先生に気兼ねなく質問ができるのは,
自分の理解度にある程度自信があって,
教えてもらえば比較的短時間で理解できる自信もある生徒だけ,
ということになるわけです。

授業や成績に関与せず,人数の多い「総合指導員」になら質問しやすいはず

筆者の想定する総合指導員は,
各教科の授業をしませんし,
生徒に対して各教科の成績を付けることもありません。

それらは専門指導員の役目です。

直接授業をしたわけではない総合指導員に対してであれば,
「授業をちゃんと聞いていたの」などと思われるリスクは比較的低く,
質問する際の心理的抵抗も小さくなるでしょう。

生徒の理解不足や不勉強に対して
誰も小言を言わないような環境は,
緊張感がなさすぎて良くないかもしれません。

ただ,生徒の理解不足や不勉強に寛容な大人も
いた方が良いと思います。

総合指導員の多くに,意図的に生徒の学習に関して
寛容な対応をする役目を与えておくと,
生徒が相談しやすい環境を作れるのではないでしょうか。

十分な人数の総合指導員を配して,
各総合指導員が教科内容を
ある程度学習するようにしておけば,
基本的な質問には対応できますし,
多くの生徒が質問しても,人手不足になる心配はありません。

そして,総合指導員には対処できないような
ややこしい質問があれば,
専門指導員に相談すればよいのです。

最終的に専門指導員の手を借りるにしても,
数は大きく絞れますし,
生徒が「こんなことも分かってないの」
と思われる可能性も低くなります。

色々解決できる案ではないかと思うのですが,
いかがでしょうか。

残る問題を1つ挙げるとすれば,
質問してきた生徒の理解度があまりにも低く,
総合指導員では教え切れなかったというケースでしょうか。

これにどう対処するかは議論の余地がありそうですが,
話が細かくなりすぎるので割愛します。

実現への課題

「総合指導員」に求められる能力

総合指導員に対しては,
それほど高度な能力を要求する必要はないと思います。

本当に最低限の要求事項としては,
大人としての思慮分別,生徒を支援する姿勢,
校舎内を見回るだけの脚力があれば
よいのではないか,というくらいです。

それに加えて,次のような能力・資格があると,
生徒が困った時に助けになれるので
なお良いと言えるでしょう。

  • 乗用車の免許
  • 法律,心理学,情報技術などについての広い知識ℹ️️
  • 医療(応急処置)の基礎的な知識と技能
  • 生徒が普段学んでいる教科内容の熟知
  • 独自の得意分野ℹ️

苦手分野は他の人にお任せでよい

総合指導員が備えていると良いと思う
能力・資格を挙げましたが,
1人で全部そろえる必要は全くありません。

生徒を手助けするために
自身の能力を高める姿勢と努力は大切です。
生徒がその姿を見て成長する可能性も
大いにあります。

しかし,生徒がどんな内容の相談をしてきても
自分1人だけで対応できるほどの万能型の人材になろうと
無理をする必要はありません。

各々の総合指導員は,各自の得意分野を伸ばしつつ,
苦手分野に関する努力は無理なく可能な範囲にとどめて,
その分野は他の総合指導員に任せればよいと思います。

人材の育成は,教科の専門家よりは容易

筆者の想定する総合指導員に
高度な専門性は必要ありませんし,
全てのことをそつなくこなせる万能性を
要求する気もありません。

ですから,総合指導員になるための資格を創設するとしても,
その取得難易度は低めに設定することができます。

従って,多くの総合指導員を育成することは,
多くの専門指導員を育成することに比べれば,
はるかに容易であるはずです。

大学生のアルバイトやシルバー人材の活用も考えられる

この「総合指導員」の担い手は,
必ずしも教員免許のような正式な資格の
保有者でなくてもよいと思います。

例えば,一定の選考は必要でしょうが,
大学生のアルバイトを採用してもよいでしょう。

教科担当の専門指導員を目指す学生の入り口として,
ちょうど良いと思います。

あるいは,逆の発想で,
人生経験の豊富なシルバー人材の活用も
有力だと思います。

学校に良くない大人が入り込む可能性について

厳格な選考をずに総合指導員を採用すると,
学校に良くない大人が入り込む可能性を
心配する声もあると思います。

これについては,身もふたもないことを言ってしまえば,
大人が大人を見張る環境にするくらいのつもりでも
よいのではないでしょうか。

総合指導員が頻繁に,かつ不定期に
学校の隅々まで散策するようにすれば,
子供であれ大人であれ,
子供に対して悪いことはしにくくなります。

いわゆる「不正のトライアングル」
(動機・機会・正当化)の中の
「機会」の激減を狙うのです。

子供も大人も,大人に常に見られている。
あるいは,見られる可能性がある。

その意識があるだけでも,生徒どうしのいじめや,
生徒に対する教職員の問題行動は,
少なくとも学校内においては
かなり抑えられると考えています。

もちろん,なるべくしっかりした大人を
採用することの重要性を
否定する気は全くありません。

しかし,学校に入る大人は
全員聖人君子であるべきだという理想論では
うまくいかないことは,現状からも明らかです。

それよりは,ある程度の分別があると
判断できた大人を多数採用して学校に入れ,
その中に良くない大人がまぎれ込んでも,
多数の目で抑え込むという方針の方が,
美しくはありませんが現実的だと思います。

学校外についてはどうするのかということもありますし,現代のインターネット社会では,
実体の世界だけうまくいけばよいわけでもありません。

この記事の案を実現するなら,
そこまで考える必要がありますが,
この記事はあくまで提案なので,
ここまでにしたいと思います。

まとめ

この記事では,教師が教科指導に集中できないという
社会問題の解決策について考えてみました。

そして,教科担当の「専門指導員」と
教科以外の面も含めて総合的に生徒をサポートする
「総合指導員」の分離を,
1つの案として提示しました。

これで全部が解決されるほど単純な話ではありませんが,
問題を大幅に緩和する策として有力ではないかと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
参考になれば幸いです。

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