【数学教育アイデア素材】序文 | 数学を学び,学ばせるのは何のためか

前ページまでのあらすじ

日本の学校教育では,生徒全員に対して,
同学年の同じ時期に同じ内容の数学を教えようとします。

その方針は,既習事項が理解できていない生徒にも
新しい理論を学ばせる状況を生み,
理解が継続できなくなることで,
数学の学びに苦痛を感じる原因になっています。

どうすれば,数学の学びの負担を減らしつつ,
効用を維持できるのか。

それを明らかにするために,まず,
数学を学ぶことの効用を詳しく分析してみたいと思います。

数学を学ぶことの効用

数学の学びで得られるもの

数学を学ぶことで身につけられるものを大別するなら,
次の4つになるかと思います。

数学を学ぶことで得られるもの

  • 数学の理論と概念ℹ️️
  • 考える技術
  • 考える姿勢
  • 説明する技術

これらの1つ1つについて,詳しく見ていきます。

数学の理論と概念

数学を学んで数学の理論と概念が得られるのは当然ですが,
問題は,それが誰にとってどの程度役に立つかです。

科学技術に携わる人にはもちろん役に立つ

将来科学技術にたずさわるつもりで
理系を選択している高校生の多くは,
科学技術に数学が深く関わっていることを
ぼんやりとでも理解しているでしょう。

かつ,理系の高校生の多くは,
数学を学ぶことにそれほど抵抗感を持っていないため,
数学を学ぶ必要性の有無が問題になることも
あまりないと思います。

ですので,この部分を深く掘り下げるのは
やめておきます。

社会科学系・人文系でも,役に立つ場面は多々ある

社会科学系・人文系の分野なら,
その研究に数学はさほど必要ないとの
イメージを持たれがちです。

日本人に多い数学嫌いの人であれば,
そうであってほしいとの願望もあるでしょう。

筆者は,社会科学系・人文系の分野に詳しくないので,
聞きかじりの知識になるのですが,
次の2点が正しいことは確かのようです。

  • 経済学には数学が必須。⚠️
  • ほぼ全ての分野において,
    統計学ができると,研究の幅が広がる。

特に統計学には注意が必要です。

これからはデータの時代であるとよく言われます。

大学入学後の研究で統計学が必要になったが
統計学を学ぶための数学の基礎理解が
全く足りないという状況は避けたいものです。

社会人にとって数学が必須であるとは言えない

ある程度高度な数学を理解していなければできない仕事が
少なからずあるのは事実だと思います。

特に,(くり返しになって恐縮ですが)
これからはデータの時代であるとも言われます。

統計学を理解し,適切に統計分析ができる人は,
業種を問わず,今後重宝される可能性が高まっていると
言えるかも知れません。

そういった背景もあり,国としては,
ある程度高度な数学の素養がある人材を
多数育成したいと考えるのは自然です。

それを十分に認めた上で言うのですが,
数学が苦手な人材が
いかなる仕事の現場でも役に立たないかと言えば,
そんなことはないでしょう。

数学的な素養や思考力が低い場合,
仕事の質にいくらか影響は出るにしても,
まともにできる仕事がほとんどないなんてことは
ないはずです。

それに,数学に限りませんが,
あまりに苦手な分野があるなら,
その分野の知識や技能を必要とする仕事は
他の人員に任せればよいだけです。

その分,さほど苦手でない仕事を多く引き受けるようにすれば,
大抵たいていの場面は問題なく処理できます。⚠️

個人的には,高度な数学を要する職種でもない限り,
社会人における数学の知識や技能の差は,
他の資質(他分野の知識や技能,体力,根気,気配りなど)
十分補える程度の差でしかないと思っています。

高校数学,あるいはそれ以上の数学を理解する人材を
多数確保したいからと言って,
そのレベルの数学をほぼ全ての高校生に
学ばせる必要はないはずです。

日常生活に数学が必須であるとは言えない

数学で解くのにぴったりな場面は少ない

あくまで筆者の日常生活においてですが,
筆者は,算数は毎日のように使うのに対し,
数学はあまり使っていません。

本格的に数学を使って日常の問題を解決したと
はっきり認識できた機会に限るなら,
その頻度は,年に1度あるかどうかという感じです。

最近,統計学をやや深く学んだことで,
「これは統計学が使える場面かも」と思う機会は
多少増えました。

高校数学で学ぶ範囲で例を挙げるなら,
相関係数,区間推定,仮説検定などですね。

とは言っても,データの収集や多数回の試行,
そして計算が大変なので,
実行することはほとんどないのですが。

もっとも,筆者には,
日常生活で数学を使ったことがきっかけで
数百万円の損失を防いだ経験もありますので,
頻度が低いからと言ってあなどることはできません。ℹ️

また,筆者よりはるかに応用力のある人ならば,
世の中の大部分が数学に見えて,それを解くことで,
常人なら到底気づかない答えに
到達していたりするのかもしれません。

しかし,たとえそうだとしても,
国民全員に似たようなことを期待して,
国民全員に高度な数学を教え込もうとするのは,
無理がありすぎると思います。

数学が苦手な人が高度な数学を無理に学ぶくらいなら,
その労力を他分野の学びに回した方が
有意義なのではないでしょうか。

数学で学ぶ概念も,万人に必須とまでは言えない

数学で学んだ概念が思考の助けになることは,
それなりの頻度であると感じます。

初等幾何,確率,期待値,関数,
微分積分,ベクトル,数列,統計…

いずれも,日常の思考の中で,
時おり頭にイメージが浮かぶものです。

特に,高校数学Aで学ぶ「確率」や「期待値」は,
日常生活でも思考と判断の助けになることが多いと
感じています。

しかし,それらのイメージも,
万人に必須とまでは言えません。

国民の大多数に多大な労力を払わせてまで
学ばせる理由としては弱いと思います。

考える技術

数学は,他教科と異なり,
暗記よりも思考が占める割合が
かなり大きい教科であると言えるでしょう。

考える内容の複雑さも随一ですから,
考える技術を鍛えるのに最も適した教科であるのは
確かだと思います。

数学で必要になる思考

数学では,まず前提となる理論を習得した後,
練習問題を解くのが常道ですが,
そこでは,次のような思考が必要になります。

  • 必要な情報と不要な情報を見分ける。
  • 自分が持つ思考材料ℹ️️を組み合わせて検討する。
  • 何が分かれば答えまでたどり着けるかを考える。
  • 考慮できていない部分が残っていないかを考える。
  • 思考過程や答えの正当性を確認する方法を考え,
    その効果が手間に見合うならば実行する。ℹ️️

また,王道ではないかもしれませんが,
次のような思考が働く人もいるでしょう。

  • その問題が自分の力で解けるかどうかを判断する。
  • 作問者の意図を読む。ℹ️

どれもこれも,学術研究でも仕事でも日常生活でも,
極めて重要な思考や判断ばかりだと思いませんか。

このような思考を常に行う教科ですから,
数学の学びは,考える技術の訓練として
極めて有効であると思います。

考える姿勢

個人的に,考える技術以上に重要だと思っているのは,
考える姿勢です。

学校教育における数学の活動は,おおざっに言うと,
定理や公式,類題の解法などの知識を総動員して,
目の前に出された問題について考え,
解法および答えにたどり着くというものです。

そのような成功体験を重ねると,
次のような意識が定着していきます。⚠️

自分の頭でよく考えれば,
有用なアイデアが多数得られる。

そのアイデアは,考えなければ得られない。

ここに述べた,自分の思考を信じられる意識の体得こそが,
数学を学ぶ(学ばせる)最大の意義であると言っても
過言ではないと思っています。ℹ️️

筆者は,主に数学の学習を通してその意識を得て,
あらゆることについて熟考するタイプの
人間になったと自覚しています。

そして筆者は,この「考える姿勢」に,
これまで何度助けられたか分かりません。

この意識のおかげで思考が進展した回数を
もしも実際に数えていたとしたら,
日常生活の場面に限っても,
これまでの通算で何千回という単位になると思います。ℹ️

筆者がその意識に助けられたと感じたことがある場面を
例示するなら,次のようになります。


  • 資格取得の学習
  • コンピュータの利用および
    トラブルシューティング
  • 生活様式や生活空間の構成
  • 行動計画の立案と実行
  • 健康管理,体調管理
  • 生活資金の節約や捻出
  • 犯罪被害の防止

これらについて,筆者が他の人と比べて
優れているかどうかは何とも言えません。

しかし,仮に
自分の頭で考えても大したアイデアは出てこない
という意識が根付いてしまった筆者を想定し,
それと比較するのであれば,
現実の筆者の方が格段に優れていて,かつ得をしている
断言できます。

説明する技術

自分が分かるだけでは不十分

先に挙げた「考える技術」が,
自分が答えを得るための内向的な技術であるとすれば,
こちらは,他者に納得してもらうための対外的な技術です。

現実世界では,現れた問題に対し,
それを解いて自分が確信を得ることも大事ですが,
その結論を他者に説明し,
納得してもらうことも大事です。

会社で,この商品は1年間でどれだけ売れるか?
という問題が出され,
よく検討して自分が納得できる結論を得たとしても,
それだけではいけないでしょう。

なぜその結論に至ったのか,
周囲に説明して納得してもらう必要があるはずです。

数学の「証明」が説明する練習になる

学校の数学の授業では,中学2年あたりから,
「証明」を学びます。

証明とは,ある命題の真偽を判断する問題について,
数学の基礎理論を知っている人なら
誰でも分かるような説明文を書くことです。

その説明文を書く際には,
「考える技術」の項で述べたことに加えて,
次のようなことに気をつける必要があります。⚠️

  1. (数学の)用語を正しく使えていること。
  2. 独自の用語や記号を使う場合は,
    その定義が適切に説明されていること。
  3. 意味の通る文章になっていること。
  4. 読み手にとって分かりやすい説明に
    なっていること。
  5. 成り立つことが判明していることだけを
    根拠として使っていること。
  6. 間違った論理を主張していないこと。
  7. 論理に飛躍がないこと。
  8. 他の解釈ができる表現を使っていないこと。
  9. 場合分けで全てのケースをカバーできていること。
  10. 問われていることに対して,
    しっかり答えを示していること。
具体例:証明で気をつけるべきこと

ここに挙げた注意点について(全てではありませんが)
次の例題を通して考えてみたいと思います。

例題

2つの角が等しい三角形は
二等辺三角形であることを証明しなさい。

証明方法は色々ありますが,
次のような答案を作ったとしましょう。

証明

$\rm \angle\,B=\angle\,C$ である $\rm \triangle ABC$ について,
$\rm AB=AC$ となることを証明すればよい。(*1)

頂点 $\rm A$ から辺 $\rm BC$ に垂線をひき,
交点を $\rm D$ とする。(*2)

$\rm \triangle ABD$ と $\rm \triangle ACD$ について,(*3)
 $\rm \angle\,ABD=\angle\,ACD$(仮定)
 $\rm \angle\,ADB=\angle\,ADC=90^\circ$ …… ①

三角形の残りの角も等しいから,
 $\rm \angle\,BAD=\angle\,CAD$ …… ②

また,$\rm AD=AD$(共通)…… ③

①,②,③より,
1組の辺とその両端の角がそれぞれ等しいから,
 $\rm \triangle ABD\equiv\triangle ACD$ (*4)

合同な三角形の対応する辺は等しいから,
 $\rm AB=AC$ (*5)

よって,2つの角が等しい三角形は二等辺三角形である。(*6)

筆者は,この証明は
正しいと考えてよいと思います。⚠️

さて,この証明について,注意すべき点を挙げていきます。

点 $\rm D$ の定義を忘れてはいけない

(*2) で,独自の点 $\rm D$ を定義しています。
これは大事な要素です。

点 $\rm D$ の定義を省略したら文意が成立せず,
注意点の (B),(C),(G) を満たさなくなりますし,
点 $\rm D$ の定義を変更すると,
その後の証明が大きく変化します(後述)

論理の正当性を確保しつつ,
読み手に伝わりやすい証明を書く上で,
点 $\rm D$ をどのように定義したかを明示することは,
欠かせない要素です。

特に,図だけいて,
文では点 $\rm D$ の定義を書かないというのは,
証明の初心者だとありがちではないでしょうか。

(*3) はぜひ付けるべき

証明を学び始めた頃の中学生だと,
(*3) を付ける必要性がいまいち認識できないことが
あると思いますが,これも必要です。

これを省略したら,この証明を読む人は,
$\rm \triangle ABD$ と $\rm \triangle ACD$ に注目していることに
(*4) まで来てはじめて気付くということになりかねません。

また,③の「共通」は意味不明になってしまいますね。

そうならないように,
特定の2つの三角形に注目することを
前もって宣言しているのが (*3) です。

注意点の (C) や (D) を満たすために
必要な前置きであると言えます。

②を説明なく根拠にしてはいけない

(*2) では,点 $\rm D$ を,
頂点 $\rm A$ から辺 $\rm BC$ に下ろした垂線の足という定義にしています。

従って,$\rm \angle\,ADB=\angle\,ADC=90^\circ$(①)は
仮定より正しいと主張して構いませんが,
$\rm \angle\,BAD=\angle\,CAD$(②)を根拠に使いたいなら,
上に示した証明のように,
それが正しい理由を説明する必要があります。

もしも (*2) で,点 $\rm D$ を,
$\rm\angle\,A$ の二等分線と辺 $\rm BC$ の交点という定義にしていたら,
①と②の立場が入れかわり,②はすぐに使えるけれども,
①は説明が必要ということになります。

また,(*2) で,
「辺 $\rm BC$ の中点を $\rm D$ とする」とした場合は,
①も②も使えません。⚠️

このあたりを間違えて,
まだ正しいかどうか分かっていない①や②を使った場合は,
注意点の (E) に反してしまいます。

(*6) で,「2つの底角が~」と書くのはまずい

締めくくりの文である (*6) で,
「2つの底角が等しい三角形は
 二等辺三角形である」(※)
と書くのはまずいと思います。

「底角」という用語の使い方が誤っており,
注意点の (A) に反すると思われるからです。

「底角」は二等辺三角形についての用語であり,
ただの三角形に対して用いる用語ではありません。

上記の(※)は,二等辺三角形であることが
確定する前の三角形について
「底角」という用語を用いる形になっているので,
これは避けるべき表現でしょう。⚠️⚠️


こんな初歩的な証明でも,
これだけ多くの注意点を内包しています。

ここで触れた注意点は,日常生活でも仕事でも,
自分の思考を相手にしっかり伝える際に
大いに役に立つ要素ばかりです。

数学の証明は,それらの要素を,
まとめて練習して体得することができるものだと思います。

いかがでしょう?

どんな場面でどんなことを説明するにも,
大事なことばかりではありませんか?

これらのことに気をつけながら説明文を書く訓練が,
数学の証明問題を通して行えるのです。ℹ️️

そう考えると,やはり数学の学習は
万人にとって有用なのではないかと思います。

数学を学ぶ・学ばせる目的

以上より,数学を学ぶ・学ばせる目的は,
次のようにまとめられるのではないかと思います。

  • 数学の学びを通して,
    考える技術,考える姿勢,説明する技術を身につける。
    これらは,業種を問わず仕事で役に立つと思われ,
    かつ日常生活でも助けになると思われる。
  • 数学の理論や概念自体も,将来学ぶ学問によっては
    大いに役に立つ可能性がある。

つまり,国民全員に必要なのは,
数学の理論や概念ではなく,
考える技術,考える姿勢,説明する技術であるというのが
筆者の意見です。

これらは数学の学習でしか
身につけられないわけではありませんが,
せっかくなので理論自体も役に立つ可能性がある数学を
学びの舞台にしているということではないでしょうか。

残る疑問

ここまでの筆者の主張を是とするなら,
結局数学は全員が学ぶべきであり,
国としては現在のような教育方針に
せざるをえないことになるのでしょうか?

否,その論理には,落とし穴が3つあると思います。

  1. 必要な知識と技能が揃っていない状態で
    新しい数学理論を学ばせると,
    考える姿勢を減退させる原因になること。
  2. 考える技術や姿勢,説明する技術を,
    数学の学習を通して体得することは,
    現行の中学数学程度の内容を舞台にしても
    十分に可能であると思われること。
  3. 考える技術や姿勢,説明する技術を
    身につけるための手段は,
    数学の学習以外にもあると思われること。

理解が不足した状態で新しい理論を学ばせるのは逆効果

数学が考える姿勢を育てると述べましたが,
それは,与えられた問題を解くのに必要な知識と技能が
そろっている状態で考える訓練をした場合の話です。

必要な知識と技能が揃っていない状態で
考えることを強いられると,
考えても考えても分からないという
失敗の体験ばかりが積み重なって
逆効果になると考えられます。

これは,多くの学校の多くの生徒に,
特に多くの高校生に,実際に起きていることであると
確信しています。

そのような状態に置かれた中高生は,

 自分の頭で考えても大したことは分からない

という意識が定着し,
問題を解決するために考える姿勢や気力を
失ってしまうおそれがあります。

その影響が数学だけに留まればまだよいのですが,
他教科の学びや日常生活,将来の仕事にまで
影響を与える可能性は十分にあると思います。

考える技術や姿勢などの育成の舞台が高校数学である必要はない

筆者は,数学は万人が学んだ方が良いと考えています。

しかし,高校数学の大部分を万人に学ばせる必要性は
ほとんど感じません。

考える技術や姿勢および説明する技術を
身につけるための訓練は,
中学数学の範囲内でも十分に可能だと思われるからです。

実際,中学数学の範囲内でも,
高度な思考を要求する問題はいくらでもあります。

それらの問題についてしっかり考え,
論述する訓練を行えば,
考える技術や姿勢および説明する技術は,
十分に体得できると思います。

少なくとも,前提知識が大きく不足している生徒が,
事実上理解不可能である高校数学を舞台にして,
解けるはずのない問題に苦しみ続けるより,
はるかに有意義であることは間違いありません。

数学以外にも,考える技術や姿勢などを身につける手段はある

上記の (C) にあるように,
考える技術や姿勢,説明する技術を身につける手段は,
数学以外にもあります。

ただ,それらの技術や姿勢を身につける手段は,
多いほど良いのも確かです。

従って,やはり数学は万人が学んだ方が良いというのが
筆者の意見です。

そのあたりの詳しい考察は,
別記事にまとめました。

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次ページの内容

現在の国の数学教育方針では,
高校の普通科(またはそれに準ずる学科)を卒業するには,
事実上,高校数学の内容のうち,
少なくとも数学Ⅲや選択分野を除く全ての部分を
学ぶ必要があるでしょう。

それに対して,筆者の意見は次の通りです。

  • 数学は,万人が学んだ方が良い。
  • ただし,現行の高校数学の大部分は,
    万人が学ぶ必要はない。

だとすると,どんな人が,どんなタイミングで,
どの程度の数学を学ぶのが妥当なのかという問題が
浮上します。

次ページでは,その問題について考えます。

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