前ページまでのあらすじ
筆者が考案した入社試験問題の題材となっている
数学Ⅰの問題およびその解説の文の中で,
次の2点を不自然な点として指摘しました。
- 問題文に $a>0$,$a+\dfrac{1}{a}=-1$ とあるが,
$a>0$ のとき,$\dfrac{1}{a}>0$ であるから,
$a+\dfrac{1}{a}>0$ となるはず。
つまり,問題文の前提条件は成立しえない。 - 結論が $a^2+\dfrac{1}{a^2}=-1$ となっているが,
$a$ が $0$ でない実数であるなら,
$a^2>0$,$\dfrac{1}{a^2}>0$ より,$a^2+\dfrac{1}{a^2}>0$ となるはず。
つまり,$\boldsymbol{a^2+\dfrac{1}{a^2}}$ の値が $-1$ であるはずがない。
解決策の考察
考察1:「$\boldsymbol{a>0}$」の仮定を除去してはどうか
この2点に気づくと,まず (A) を解決するために,
「$a>0$」を仮定から削除してはどうかと考える方も
いらっしゃるでしょう。
別に $a>0$ である必要はありませんし,
$a$ が負の数でもよければ,
$a+\dfrac{1}{a}$ も負の数になりうるので,
矛盾はなくなるのではないかと。
それではだめです。
少なくとも,それだけではだめです。
もしも,この入社試験問題の答案として,
「$a>0$」を削除すれば解決するとの意見が述べられていた場合,
(A) にも気づかないよりはまだよいとしても,
残念ながら検討が足りないという評価になります。
$\boldsymbol{a+\dfrac{1}{a}=-1}$ と設定した時点で不可
実は,$a+\dfrac{1}{a}=-1$ と設定した時点で,教材に載せる問題として落第なのです。
$a$ の値として負の数を認めても不可です。
次のことが言えるからです。
$a+\dfrac{1}{a}=-1$ …… ① を満たす実数 $a$ は存在しない。
複素数を知らない人向けの問題ですから
$a>0$ という条件を省いたとしても,
変数は実数値しかとりません。
そして,$a$ が実数である限り,決して①を満たすことはできません。
従って,この問題・解説をそのまま,あるいは
「$a>0$」を省く修正だけを施して教材に載せた場合,
その教材の利用者は,実現しえない前提に基づいた,
でたらめな問題を解かされることになります。
矛盾に気づくための思考
式①を見ただけで矛盾が生じていることに気づく人は
かなり感覚が良い人だと思いますが,
そこまでの感覚はなくとも,しっかり思考を巡らせていれば
気づくチャンスはあります。
このケースでは,そもそもどうして (B) のようなことに
なってしまっているのかを考えるのが糸口になるでしょう。
$a^2+\dfrac{1}{a^2}=-1$ という結論を得るのに使っている条件は,
$a+\dfrac{1}{a}=-1$ だけです。
ならば,そこに原因があると考えられるわけです。
背理法に似た状況
これは,言わば背理法に似た状況であることに
気づかれるでしょうか。
すなわち,$a^2+\dfrac{1}{a^2}=-1$ という矛盾した結論に達したのは,
$a+\dfrac{1}{a}=-1$ という前提に無理があったからだというわけです。
次のように例題仕立てにすると,
より分かりやすいかもしれません。
ある実数 $a\,(\,$$\neqq$$\,0)$ に対し,
$a+\dfrac{1}{a}=-1$ が成り立つと仮定すると,
$a^2+\dfrac{1}{a^2}=-1$ となる。
しかし,$a$ は $0$ でない実数であるから,
$a^2>0$,$\dfrac{1}{a^2}>0$ より,
$a^2+\dfrac{1}{a^2}>0$ となる。
これは,$a^2+\dfrac{1}{a^2}=-1$ であることと矛盾する。
したがって,$a+\dfrac{1}{a}=-1$ を満たす実数 $a$ は存在しない。
この例題を解くのに背理法を持ち出すのは大げさかもしれませんが,
現在の状況がこの例題に似ていることに気づければ,
$a+\dfrac{1}{a}=-1$ という前提自体がおかしいとの認識が
得られるわけです。
解けるのだからよいではないか,などと言ってはいけない
$a+\dfrac{1}{a}=-1$ という設定は変かもしれないが,
ちゃんと解けて答えが1つに決まるのだから,
実害はないのではないかと思われた方はいないでしょうか。
そのように思われる方には,
再考をお願いしたいところです。
実際,$a$ が虚数でもよければ,
式 $a+\dfrac{1}{a}=-1$ を満たす $a$ は存在しますし,
その場合,解説例にある通りの計算過程で,
$a^2+\dfrac{1}{a^2}$ の値は1つに定まります。
複素数を知っている人向けに出題するなら,
現在検討している「$a>0$ を省いて出題する」という案は,
特にまずい点はないと言えるでしょう。
しかし,実数しか知らない学習者に対して,
その修正だけを施した問題を出してはいけません。
実害があるからです。
実現しえない問題設定は許されない
学習者がどんな思考過程でどの部分に矛盾を見出すかは,
誰にも予想がつきません。
だからこそ,この問題に限らず,どんな形であれ,
実現しえない問題設定を行うことは,決して許されません。
背理法でよく見られるように,
ありえない設定からスタートした推論は,
途中の論理は妥当だったとしても,
ありえない結論を導いてしまうことがあります。
すなわち,正しい推論をした学習者が,
無駄に悩まされる原因を作ってしまうことになります。
教材として,決して許容されないことです。
教材制作者の数学担当に専門性が必要な理由
教材制作者とて完璧ではありませんから,
ごく稀にそのような瑕疵(矛盾や欠点)を
残してしまうのは仕方ないとも思います。
しかし,そのような瑕疵が多く含まれるような教材は,
教材たりえません。
教材制作者はそのことを肝に銘じ,
自らが出題する問題及びその解説に瑕疵が残っていないことを
数学的に証明するくらいの気迫で,
1問1問に対して検討を施す必要があると思います。
そして,そのためには,
出題する問題の水準とは比較にならないほど
高度な数学を要することも多々あります。
本記事のような例を見ると,出題する問題が解けるだけ,
理解できているだけの人では務まらないことが
お分かりいただけると思います。
数学をかなりの程度,広く深く理解している人にしか
できない仕事であると考えるべきでしょう。
本記事はまさに,易しい問題を出題するにあたり,
その問題に比べるとはるかに高度な数学を用いて
検討を行う事例となっています。
そのことを,本記事を通して感じとっていただければ幸いです。
次ページの内容
$a>0$ であろうとなかろうと,
$a$ が実数であるという前提のもとで
$a+\dfrac{1}{a}=-1$ と設定するのが
NGであることは分かりました。
次ページでは,それなら $a+\dfrac{1}{a}$ の値を
どのように設定すれば問題ないのかについて
考えていきます。